いくらレベル値を上げたところで、現実の世界は何も変わらない(終章)

「効率がいいと嬉しくて悪いと悲しい」

私たちがMMORPGをやる目的は何か。レベル値やレアアイテムが欲しいからやるのか。それとも単に誰かに自分を認識して欲しいからやるのか。そもそも目的などあるのか。

彼は「外人がやたらと多い」あるMMORPGの中では、ちょっとした有名人であった。彼がログインした瞬間、即ギルドメンバーからメッセージが送られ、数分で狩りへの誘いが。晒しスレでも頻繁に名前が挙がり、その世界で彼の名を知らない者は多くはなかった。彼はその「外人がやたらと多い」MMORPGの中では愛されていた。そのゲームの中「だけ」では愛されていた。

彼がMMORPGをはじめたきっかけは、「ただなんとなく」だった。本当に、何か目的があって始めたわけではなかった。なんとなく、面白そうなMMORPGを選んでユーザー登録した。彼は、手始めに強いと言われているクラスを育成した。彼はこのMMORPGをやる前、他のMMORPGをいくつか見ていたため、この手のシステムに関してはまったくの素人ではなかった。基本的な構造を知っていたことは大きい。彼は、ゲーム内で有名な巨大ギルドに加入を申し込んだ。

巨大ギルドはあっさり彼を受け入れた。「よろしく〜」「よろしくお願いします」「よろしくね^^」といった意見。

「まるで俺が必要とされてるみたいじゃねえかw」

その時彼は、今まで味わったことのない興奮を覚えた。コンビニ店員に「温めますか?」と聞かれた時とはまた少し違った、「認められた」感。だが、ほどなくして、自分のキャラのレベル値がそのギルド内で底辺だという事に気付いた。

「追いつかないと、一緒に遊べない」

彼は翌日から、レベルを上げ始めた。前よりもっと積極的に、無駄なく、とにかく「効率よく稼ぐ」ことを念頭に置いてプレイした。ギルドメンバーと関わり、ギルド外のフレンドも増やした。彼のレベルはどんどん上がって行った。ログインすると誰かに話しかけられるようになった。狩りにも誘われるようになった。かれはまた「興奮」を覚えた。

それから彼の生活は変わってしまった。

歩いているとき、車に乗っているとき。飯を食べているとき、友人と遊んでいるとき。彼は常にそのMMORPGの事しか考えなくなった。そして毎日ログインした。リズムを崩すと、積み上げた物が崩れるような気がしたからだ。彼はそれから数年、MMORPGに全てを捧げた。レベルは上がり、レアアイテムは貯まり、知り合いは増え、ギルド内での地位も上がった。発言力はギルドマスターと並ぶほどになった。

彼は人気者だった。満足していた。

そして彼は、ふと、あることに気付いた。

「あれ?俺ってこっちでは人気者なのに、なんで現実では人気者じゃないんだろう。」

違和感を覚えた。

開始して数年とはいえ、今までの「MMORPG人生」に疑問を持ち始めた。彼は確かに「愛された」。それも多くの人々に。誰も彼を放っておかない、2chの晒しスレでさえも。「○○さんのナイトは頼りがいがある」と言われて満足していたはずが、どこかおかしい。

彼はそう思ったその日、MMORPGにログインしなかった。正確に言うと、「もうログインできなかった」。そして押し入れにある「高校時代やっていたエレキギター」を取り出した。

「おれはなんでこんなものに無駄な時間を費やしていたんだろう。レベルが上がってアイテムが増えて。」

「それだけじゃないか」

彼は本当に、心からそう思っていた。少なくともその瞬間だけは。3日後、彼はあっさりとゲームに復帰した。ギルドメンバーには「交通事故でケガをして連絡できなかった」と説明した。誰もが彼を心配し、復帰を歓迎してくれた。エレキギターは壊れていた。レベル値は低かった。金もなかった。そして何より、誰も自分に興味を持ってくれなかった。現実には彼を引き止めるような物が何もなかった。

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http://d.hatena.ne.jp/gensyokuneon/20080624/p1