re: 「嫌なら見るな」を撲滅したい

http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080102/1199233176

Aの素晴らしさ、bの不見識を説いて、bの認識を変えてほしい。もちろんbにはそんなaの盲目ぶりを非難し、aに見えていないAの問題点を突きつけ、aの目を開かせてもらいたい。
(中略)
やりとりのなかで、aはAの魅力を、bはAの拙さを再認識し、それぞれ自らの感情、思考をいっそう明確にできる。

「議論」という単語も比較的定義が曖昧でカオス化しやすい。大体3通りの定義がある

A. 双方が淡々と自説を述べ、それを通して双方が考えを整理する行為
B. 自分の正しさと相手の正しくなさを詳細に説明し、相手の思想を改造しようとする行為
C. でかい声で叫びまくって、相手を喋らせなければ勝ち

意見対立を避けようとする人は多い。だが最初からいきなり避けようとしていた人間はいない。なぜ彼らが意見対立を避けるようになったのかといえば、これは推測になるが、おそらくそこから発生した「議論」という物が、非常に高い頻度で定義BまたはCに当てはまる物だったからではないか、と思う。つまり何度か「議論」と称される行為を繰り返すうち、「自分の正しさと相手の正しくなさを詳細に説明してこちらの思想を改造しようとして来る相手と話す事」が時間の無駄でしかないという事を経験を通して感じ、彼らは「議論」を、ひいては意見対立を避けるようになった。その目的を効率的に達成するためのメソッドの1つが「嫌なら見るな」というわけだ