re: 若年世代オタの、「物分りの良い」体裁について考えてみる

http://d.hatena.ne.jp/i04/20071205/p1

口リ絵を描きながらもそこに他所のジャンルからパクッてきたオサレなセンスを散りばめ、そして自分のスタイルを語り、特に音楽でテクノを聞くと言うのがトレンドだった。ここらへんの人間はハイエンド系とも括られ、オタクに媚びながらもハイセンスでスタリッシュと言う鼻持ちなら無い自意識を尖らせて居たが(みんながみんなそうだったとは言わないが中にはとんでもなく鼻持ちなら無い人間は居た)今はどうだ?
(中略)
ときメモもキャラソン聞いてる奴ってキモいデブオタで、店で観察してると笑える』みたいな事を言ってその一方で『クラブイベント行って来ました、ガバ(トランス系の一ジャンル)最高!お前らもガバ聴け!』ってな話をエ口漫画のコラムで書いているような。

本文の趣旨とは直接関係ないが、この辺はウケた

もはやオタク=自意識の時代はほぼ終ったと思う。
(中略)
自意識バトルの時代のオタクは言う事が常に辛辣で批判的、しかしその辛辣さと批判には凄まじいデータベースと経験が込められており、下の世代が反論しようにも投げられるハンドアックスが手強すぎて上の世代をまったく突き崩せない。

一周して全てが陳腐化したため、「興味を持っているジャンルそのもの」ではもはや自己顕示パーツとしては機能しなくなり、たかがそれぐらいの情報でいちいちアピールして来る奴はただの痛い奴、という事になった。しかし知識格差という物は絶対に消滅しないので、結局のところ大して状況は変わっていない。例えば、エロゲの曲に様々なジャンルが混ざってカオスになったとしても、そのジャンルについてルーツを含めてどの程度知っているのか、といったような格差は残る

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20071206/p1

棲み分けの徹底
コミュニケーションにおける優劣が文化圏には規定されなくなったことが周知徹底された反面教師効果
(中略)
以上、仮定の話として、若年世代が表立った優越感ゲームを呈さない・痛々しい自慢大会を呈さない「ように見える」所以について考えるだけ考えてみた。

〜に興味を持っている、という一番簡単なレベルでの自己顕示ではもはやただ痛いだけとなり、MMORPGに時間をつぎ込めば廃人と蔑まれ、下手に知ったかぶればWikipediaか何かで裏を取られて即ウソだとバレるという状況下で、単に「動くに動けない」というだけの事に思える。言い方を変えれば、昔に比べて自己顕示に必要なハードルがかなり上がり、昔なら「本当は無知無能なのにそうでないように見せかけていた奴」が全員何も喋らなくなってしまった、ということ