ポジティブ教3

http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080109/1199875970

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080111/1200020891
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080112/1200101006
http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20080112/1200084276

ポジティブ教は、基本的に「ポジティブになれば全てが解決する」という教義だが、さらにいくつかの側面に分類される。ここではとりあえず3つに分ける。1つは、全ての事象の原因を自分に求めろ、という式が提示され、それによって他人や社会に負の感情を抱かない人間になれる、と受け手が信じる、という物。2つ目は、他人には多少無理してでも好意的に接しろ、という式が提示され、それによって長期的に高いリターンが得られる、と受け手が信じる、という物。3つ目は、努力すれば報われる、という式が提示され、その事によって今までやって来た無意味な苦労やロスが「意味のある努力」として再定義/追認され、受け手が良い気分になる、という物。順番にA、B、Cとする

『「ちょっと」を毎日。』→C
『気持ちよく過ごせないのは周りじゃなくて自分が原因です。』→A
『1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば、きっと強くなれる。』→B
『人とのつながりを大事にする。』→B
『何かのせいにしない。』→A
『前に進んでいないようでも。』→C

AとBは似ているが、Cは目的が違うため、孤立している。Cの優れているところは、今後発生するロスだけでなく、既に発生した過去のロスが価値のある物として再定義され肯定される、という点にある。A/Bの実体が「〜せよ」という未来へのアジ演説である事を考えれば、過去の肯定であるCは別物と言える。ブクマコメントでも「最初は良かったが途中から付いて行けなかった」という物がいくつかあったが、それはCの効果はスムーズに受け入れられたものの、その後のA/Bの刷り込みには抵抗を感じた、という事だと思われる(余談だが、一般的な自己啓発セミナーは肯定でなく否定から入るから、メソッドとしては逆となる)

fromdusktildawnはCに対して言及し(若干の定義ずれはあるが)「地道な努力が報われる教」と呼称。orangestarもCに対して言及し、「苦労は必ず報われる教」と呼称。y_arimはAに対して言及し、「自己責任教」と呼称。同じエントリへのdisなのにfromdusktildawnとも対立した構図になったのは、言及対象が違うため。Bに対して言及した人は今のところ見てない。Bは利害が見えやすいので、これらの要素の中では普遍的な価値観に近いという事かもしれない